廃線サイト 〜失われた鉄路を辿る〜

中央本線旧線(奈良井〜薮原)廃線跡

明治43年10月5日開通。しかしこの区間には鳥居峠という難所があり、20パーミルの急勾配、半径300メートルの急曲線の続く悪い線形でした。。その後、列車増大に対応するため、複線化する際に災害区域の解消、線形改良、鳥居トンネルの老朽化を目的に昭和41年に工事を開始、昭和44年に新線に切り替えられ廃止されました。

鳥居峠越えの廃線跡


旧線と新線は、新線が鳥居トンネルに入る少し前の辺りから分岐しています。新線から分岐した廃線跡は、約200メートル切り通しが続いた後、鳥居トンネルに至っています。


新線との分岐点付近。この辺りから右に分岐していきます。藪の奥に進んでいくと、鳥居トンネルが現れます。

新旧分岐点
鳥居トンネル付近

鳥居トンネルの入口には柵があります。トンネル付近から分岐点方面を望むと、廃止後年月が経っているため、もはや自然に還りつつある廃線跡です。所々に木が生えています。


鳥居トンネルから薮原方面を見た写真。鳥居トンネル薮原側入口。

切り通し区間
鳥居トンネル(薮原側)

全長1673メートルの鳥居トンネルを抜けると廃線跡は、奈良井を渡っていました。反対岸には橋台が残ってます。また、トンネルを出た左側には、錆びた配電盤箱があります。川を渡った線路跡は、この先暫くは国道19号線に吸収されます。


鳥居トンネル奈良井側入口と鳥居トンネルとともに現存している配電盤箱。

鳥居トンネル(奈良井側)
配電盤箱

鳥居トンネルを出ると、すぐ奈良井川を渡っていました。

橋台

新国道に転用された廃線跡は奈良井新橋の真下辺りから国道を外れて再び姿を現します。ここで廃線跡は、再び奈良井川を渡っていました。


再び奈良井川を渡る旧線。

橋台2

川を渡ると、廃線跡は豊口トンネルに入っていました。現在では豊口トンネルは倉庫として利用されています。豊口トンネルを出た線路跡は、住宅地を通り、現在線と合流します。


倉庫として利用されている豊口トンネルと旧線上に展示されているC12形機関車。

豊口トンネル入口
C12形機関車