廃線サイト 〜失われた鉄路を辿る〜

福知山線旧線(生瀬〜武田尾)廃線跡

1899年(明治32年)に開通。開通から8年後の1907年(明治40年)鉄道国有法により、強制的に全線が国に買収され国有化。阪鶴鉄道から今の福知山線になりました。そして80年近くの間、単線非電化のローカル線としての営業を続けていたが、旅客増加などの理由により複線電化される事となり、1986年(昭和61年)8月に新線に切り替わり旧線は廃線となりました。訪問時はまだ完全にハイキングコースとして整備が整っていない部分が多かったので、草むした状態のままの区間がかなりあります。

武庫川渓谷沿いに残されている廃線跡

生瀬駅を出てしばらく国道176号線沿いに進んでいくと、中国道が見えてきます。中国道の高架を抜けて斜面を下った武庫川河川敷辺りで廃線跡が現れます。廃線は、武庫川に沿ってのびています。


真っ直ぐのびている廃線跡。そして武庫川に沿って進む廃線跡。

真っ直ぐのびている廃線跡
武庫川に沿って進む廃線跡

廃線跡を進んでいくと北山第1トンネルが現れます。このトンネルは1923年(大正12年)に開通したもので、それまでは川沿いを通っていました。


北山第1トンネルの様子。

北山第1トンネル

トンネルを抜けると枕木とバラストがそのまま残っており、廃線跡である事がしっかりとわかる状態です。また速度制限標識も見る事が出来ました。


速度制限標識が残る。そこから生瀬方面を望む。

速度制限標識が残る
生瀬方面を望む

しばらく進んで行くと、北山第2トンネルに入っていきます。このトンネルは廃線区間の中で一番長いトンネルです。


北山第2トンネル(福知山側)の様子。

北山第2トンネル

北山第2トンネルを抜けた廃線は、川沿いから少し離れた場所を進んでいきます。切り通しを進む廃線跡は枕木もしっかりと残されています。


川岸から離れて進む廃線と切り通しを進む廃線。草がかなり茂っている。

川岸から離れて進む廃線
切り通しを進む廃線

北山第2トンネルを出てから、川岸へ接近したり離れたりした廃線はまた川岸を進み、やがて溝滝尾トンネルに入っていきます。


溝滝尾トンネル付近と溝滝尾トンネルの様子。

溝滝尾トンネル付近
溝滝尾トンネル

溝滝尾トンネルを出ると、大きな鉄橋が目の前に現れます。これは第2武庫川橋梁であり、1953年(昭和28年)竣工 日立造船製。長さは72メートルあります。


縦で撮影した第2武庫川橋梁と横から撮影した第2武庫川橋梁。

第2武庫川橋梁
第2武庫川橋梁2

鉄橋で対岸に渡った廃線跡は、長尾山第1トンネルに入っていきます。トンネルを抜けると武庫川沿いに進んでいきます。


長尾山第1トンネル内から望む。トンネルを出て長尾山第1トンネル(福知山側)を見る。

長尾山第1トンネル内
長尾山第1トンネル

長尾山第1トンネルを出た廃線はカーブを描きながら川沿いを進み、やがて切り通しを抜けていきます。


カーブを描き川沿いを進む廃線と切り通しを進む廃線。

カーブを描き川沿いを進む廃線
切り通しを進む廃線

切り通しを進んでいくと、速度制限標識が残されていました。しばらく進むと、廃線跡は第5橋梁を渡り長尾山第2トンネルを抜けていきます。


切り通しに残る速度制限標識。切り通しを抜けた後、第5橋梁を渡る廃線跡

切り通しに残る速度制限標識
第5橋梁を渡る廃線跡

長尾山第2トンネルを出た廃線は、切り通しを進みながら第6橋梁を渡り長尾山第3トンネルを抜けます。第7橋梁・第8橋梁を渡り、やがて廃線跡は道路になります。この道路が、かつての武田尾駅です。廃線跡は、この先も道場までのびていますが、自然に還っている部分もあり辿る事は難しい状態です。


第8橋梁を渡る線路跡と旧武田尾駅跡。

第8橋梁を渡る線路跡
旧武田尾駅跡