東北本線旧線(清水原〜一ノ関)廃線跡
清水原〜一ノ関間は明治23年(1890年)に開通した路線の一部で、有馬川・有壁沢という水路沿いを走り、延長約240メートルの旧有壁トンネルを抜け一ノ関へと向かうルートでした。しかし、この区間は約17‰の急勾配区間であったため、勾配を避けるため、大正13年(1924年)に有壁駅を経由し現有壁トンネルを抜け一ノ関へ向かう路線へと変更されました。
湿地と化した有壁トンネル
この清水原〜一ノ関間は、ほとんどが農道や生活道路に姿を変えています。清水原駅付近から現在線より斜め北の方向に一直線にのびる道路があります。これが東北本線の廃線跡です。水田の中をしばらく進んでいくと、やがて有馬川が現れ、行く手を阻まれます。この有馬川には、橋脚と橋台が残されています。
水田の中を一直線に進む廃線跡と有馬川に残る橋台
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橋台を渡った廃線跡は、水田の中をさらに進み、国道342号線と県道がぶつかるあたりから山の中へと入っていきます。舗装された道路となって続いていた廃線跡も、次第に畦道に姿を変えていきます。
舗装道路から畦道となり続く廃線跡と有壁トンネルにむけ続く廃線跡
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やがて畦道となって続いていた廃線跡も、ぬかるみが多くなってきます。すると溜池のような場所が現れ、下約3分の1程浸かっているトンネルが口を開けています。これが有壁トンネルです。因みに、この溜池はトンネルからの湧水をせき止めて出来たとのこと。
神秘的な風景に口を開ける有壁トンネル
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一ノ関側のトンネルは内部の崩落が激しく、奥まで立ち入るのは危険という噂があるので訪問される方は十分に注意が必要です。トンネルを出た廃線跡は国道342号線に吸収され、一ノ関方面へ続いています。東北新幹線をくぐる付近で、国道は左へとカーブしますが廃線跡はまっすぐとのびる細い生活道路となり東北本線としばらく並走し、やがてJR敷地内に吸収され廃線跡は終わっています。