東海道線貨物支線(瑞穂支線)廃線跡
瑞穂埠頭は大正14年(1925年)に着工、昭和20年(1945年)完成しましたが、戦後に駐留軍の接収を受け、講和条約の発効後は日本の提供施設として米軍が使用しています。現在も7バース(総延長:1,259m)が在日米陸軍によって使用され、通称「ノース・ピア」と呼ばれています。2009年に瑞穂埠頭にかかる瑞穂橋と、埠頭外周の港湾道路が日本に返還されました。瑞穂支線は、昭和10年(1935年)7月15日に入江駅から分岐する貨物支線とともに開設されました。昭和30年(1955年)1月17日には、東高島駅の所属路線変更に伴って瑞穂駅への分岐駅が東高島に変更されました。1958年(昭和33年)に、米軍専用線に転用のため、瑞穂支線は廃線。瑞穂駅も廃止となりました。
瑞穂支線の廃線を辿る
瑞穂支線は東海道貨物支線(高島線)から分岐しています。分岐した線路は、カーブを描きながら踏切を渡り倉庫の横を通り、瑞穂埠頭方面に伸びています。下から撮影をしているので草が茂っていてはっきりとは見えませんが、しっかりとバラストや線路が残されているのが見てわかります。
倉庫の横を通っている廃線。
倉庫の横を通った廃線は、やがて瑞穂橋にさしかかります。瑞穂橋と瑞穂埠頭外周の道路が2009年3月31日返還されるまでは、これより先は立入禁止でしたが、現在は橋を渡る事が出来ます。この辺りはしっかりと線路が残されており、当時の面影がよく残されていると感じました。
瑞穂橋梁にさしかかる廃線と瑞穂橋梁を渡る廃線。
鉄橋を渡った線路は、踏切を渡り埠頭に向かって続いている。尚、踏切を渡った先は米軍の施設となっている為、柵が設けられており立入禁止。ここで注意して欲しいのは、撮影をする際には奥が基地であることをしっかりと把握した上での撮影が必要です。門の入口に警備員もいるので、もし何か声をかけられた際にはその指示に従ってください。自分は特にそのようなことはありませんでしたが、警備員によっては廃線跡の撮影とは知らず、基地の撮影と勘違いをされる方もいるようなので。何をしているのか聞かれた場合、しっかり廃線跡の撮影が目的である事を言うと良いでしょう。
千若信号場方面を望む。踏切を渡っている線路。
瑞穂埠頭の廃線は、東高島という場所から近い場所にあります。高島貨物線の東高島駅付近にある鉄橋を見ながら瑞穂支線を巡ってみるのも良いかもしれません。尚、この廃線跡は令和3年3月末に日本へ返還されています。そのため、今後ここにかかる橋梁は撤去されてしまう可能性もある為、今後の動向を注視する必要がありそうです。