廃線サイト 〜失われた鉄路を辿る〜

中央本線旧線(小淵沢〜信濃境)廃線跡

この区間は、1904年12月21日、韮崎(にらさき)〜富士見間開業によって開通しました。その後輸送力の確保の為、複線化が進み1983年6月21日に新線に切り替えられ廃止となりました。

車両が保存されている廃線跡

新線・旧線の分岐点へは、信濃境駅から線路沿いの道を暫く小淵沢方面に歩いていくと、道路と線路に高低差が出来ている場所があり、そこが旧線との分岐点です(新旧の分岐点近くに池生神社があるので、わからない場合はそこを目指すと良いです)。分岐した廃線跡は道路を渡り森の中に入っていきます。森側から現在線を眺めて見ると、現役当時は築堤が続き森の中へと進んでいたものと推測できます。


新線・旧線との分岐点。奥から分岐点方面を望む。

新線と旧線との分岐点
分岐点付近

廃線跡を進んでいくと、切り通しの中に何故か電車の車両が置いてあります。どうやらこの車両は、静態保存されているとこの事。近くで見てみた所、保存の状態はかなり酷かったです。中の写真を撮っていないのではっきりと覚えていませんが、中には調理器具のような物も置いてあった気がします。この車両は誰かが使用しているのだろうか・・・。もしそうだとしても、かなりボロボロであり、今は使用されていない様にも思えました。後に気になって調べたら、この車両は「とんねるの里」という喫茶店として使用がされていたようです。(現在は車両は撤去されているので跡形もありません)


廃線跡の切り通し中に車両が見える。かなりボロボロの保存車両(現在車両は撤去されて何もないです)

保存車両
保存車両

しばらく切り通しを進んでいくと、やがて遠くに旧池生トンネルが見えてきます。このトンネルの左横には47と書かれた看板がありました。どうやらこれは47番目のトンネルという意味のようです。旧池生トンネルを出た廃線跡は切り通しとなって続いており、途中に防護柵が残っていました。この辺りは廃線らしい雰囲気があり、とても歩きやすい場所でした。


池生トンネル跡。防護柵が残されている場所。

池生トンネル
防護柵

防護柵を横目にさらに進んでいくと木々がなくなり、やがて開けた場所にやってきます。すぐそこには池生トンネルを出た現在線が見えました。そして廃線跡はカーブしながら左から真っ直ぐ近づいてくる現在線と合流しています。


現在戦との合流地点です。現在線の池生トンネルを望む。廃線跡は左の森の方へと分岐しています。

池生トンネル

この廃線の魅力は保存車両がある事でした。しかしながら、保存車両は老朽化のため撤去が決定し2016年に解体されたそうです。訪問時は保存車両はまだあり中の様子を外から少しだけ見ることが出来ました。前述したように、中の写真は撮らなかったのであまり記憶は残ってはないのですが、調理器具や看板のようなもの、冷蔵庫が車内に置かれていたような気がします。後々考えて見ると、やはり「とんねるの里」という喫茶店を営業していた時に使用していたものだと思います。廃線跡は夏は草がかなり茂ので旧池生トンネルまでは行けないかもしれませんが、草が少ない春や秋に訪れるのが良い場所です。