国鉄・JR線廃線一覧
ここでは国鉄、JR線に関する廃線情報を一覧で表示しています。各路線のリンクをクリックしてページをご覧下さい。
中央本線旧線
中央本線の始まりは明治22年(1889年)に開業した新宿〜立川間の甲武鉄道という私鉄です。中央本線の建設の決定がされたのが明治27年(1894年)。その後、明治34年(1901年)8月1日に官営鉄道として八王子〜上野原の区間が開業、延伸が続き、明治39年(1906年)6月11日には塩尻まで開業しました。そして明治39年(1906年)10月11に国有化され、甲武鉄道は中央本線になりました。尚、明治37年(1904年)に電化した甲武鉄道の飯田町〜中野は、明治39年の国有化の際に引き継いだ事で、日本国有鉄道での初めての電車区間となりました。
中央本線の廃線関連です。クリックすると各ページへ移動します。橋梁やトンネルなど見所が沢山あります。面影がかなり残されているのでおすすめです。
信濃境〜富士見
中央本線旧線(信濃境〜富士見)の廃線跡です。この区間は、明治37年12月21日に開業しました。三つのトンネルと一つの橋梁があり、立場川を渡る橋梁は上路ボルチモア・トラス構造でした。そして、輸送力を向上させるために複線化が進んで行き、昭和55年9月に現在のルートに切り替わり廃止されました。旧立場川橋梁は一番の見所です。
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奈良井〜薮原
中央本線旧線(奈良井〜薮原)の廃線跡です。明治43年に開通した区間です。この場所は中山道でも有名な鳥居峠に位置しており、急勾配と急曲線が続く線形でした。その後、複線化における線形改良やトンネル老朽化などを目的に複線化工事が開始され、昭和44年に現在のルートに切り替えられ廃止となりました。鳥居トンネルが残っています。
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小淵沢〜信濃境
中央本線旧線(小淵沢〜信濃境)の廃線跡です。明治43年10月に開通した区間です。その後、輸送力をアップさせる事が目的で、複線化が進み、昭和58年6月に新線へ切り替えられ廃止となりました。現在では撤去されていますが、廃線跡の途中に車両が置いてありました。
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木曽福島〜上松
中央本線旧線(木曽福島〜上松)の廃線跡です。昭和41年に中平信号場が開設され、昭和48年に単線で電化されました。そして、昭和54年10月15日に複線で新線のトンネルが完成し、この区間は廃止されました。架線柱やトンネル、キロポストなどが残されています。
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上松〜倉本
中央本線旧線(上松〜倉本)の廃線跡です。初めは須原〜上松として開通し、倉本駅は存在しませんでした。倉本駅が開業したのは昭和23年です。やがて複線化工事が開始され、昭和44年に複線化が完了。現在のルートに切り替えられ廃止されました。旧寝覚トンネルは観光地「寝覚の床」の近くにあります。
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東北本線旧線
明治16年(1883年)に上野〜大宮間が開通(大宮駅はこの時点では未開業であり、開業は明治18年です)。明治18年(1885年)になるとさらに宇都宮まで延長されました(利根川橋梁が完成したのは明治19年で、宇都宮駅開業時は栗橋〜中田仮間の利根川は鉄道連絡船で連絡していました)。そして明治24年についに青森までの全線が開通しました。全線開通時はまだ私鉄である日本鉄道でした。国有化さて国鉄になったのは明治39年(1906年)です。
東北本線の廃線関連です。クリックすると各ページへ移動します。橋台やトンネルなど、歴史を感じる場所がいっぱいです。
清水原〜一ノ関
東北本線旧線(清水原〜一ノ関)です。明治23年に開通した清水原〜一ノ関間は有馬川沿いを走り、トンネル(旧有壁トンネル)を通る路線でした。この区間は急勾配であった事が原因となり、大正13年に勾配を避けるため、現在のルートに変更され廃止されました。現在でも旧有壁トンネルは神秘的な姿で残っています。
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利府〜品井沼
東北本線旧線(利府〜品井沼)です。開通当時は、岩切を出ると利府・松島を経由し品井沼へと向かうルート(山線)でした。しかし勾配がきつい事から、昭和19年に勾配を緩和するため海側に東北本線海岸線(現在のルートが設置されました。昭和34年に海岸線に切り替わり、利府〜品井沼間の山線は廃止されました。
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福知山線旧線
川辺馬車鉄道が福知山線の始まりで、開通は明治24年(1891年)で尼ヶ崎〜伊丹です。明治26年(1893年)に軽便鉄道化し、摂津鉄道に改名され、尼ヶ崎〜池田間が開通。明治30年(1897年)になると摂津鉄道は鉄道敷設権を阪鶴鉄道に譲渡し、阪鶴鉄道となります。そして、明治32年(1899年)に福知山までの全線が開通しました。その後、明治40年(1907年)に国有化されて福知山線となりました。
福知山線の廃線関連です。画像かリンクをクリックすると各ページへ移動します。武田尾付近の廃線は、当時の面影が良く残っています。
生瀬〜武田尾
福知山線旧線(生瀬〜武田尾)です。明治32年に開通したこの路線は、阪鶴鉄道という名前でした。福知山線になったのは明治40年のこと。開通から非電化での営業でしたが、旅客が増加してきたことで複線電化される事が決定し、昭和61年に新線に切り替わり廃線となりました。廃線跡はハイキングコースにもなっているので有名です。
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磐越西線旧線
明治31年(1898年)に岩越鉄道株式会社が設立されたのが磐越西線の始まりで郡山〜中山宿が開業しました。その翌年(1899年)には若松までが開業。明治37年には喜多方まで開業しました。明治39年になると国有法により国有化され岩越鉄道は路線名称制定で岩越線となり、大正3年に郡山〜新津が岩越線になりました。それから3年後の大正6年に岩越線は磐越西線と改称されました。
磐越西線の廃線関連です。画像かリンクをクリックすると各ページへ移動します。中山宿駅はスイッチバックの駅でした。今でもホームや線路がしっかり残されています。
旧中山宿駅
磐越西線旧線(旧中山宿駅)です。明治31年に仮停車場として開業。翌年3月に正式に駅となりました。そんな活躍した中山宿駅でしたが、昭和47年になると輸送力が減少し貨物の取り扱いを中止、昭和58年には無人駅化され平成9年に本線上に中山宿駅が設置され、スイッチバックは廃止されました。
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磐梯熱海〜猪苗代湖畔
磐越西線旧線(磐梯熱海〜猪苗代湖畔)です。この区間は、明治32年に岩越鉄道として開業しました。その後、明治39年には岩越線となり、大正6年に磐越西線と改称されました。そして、昭和42年に郡山から喜多方の電化による隧道の付け替えが行われた事で新線に切り替えられ、廃止となりました。
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東海道本線旧線
明治5年(1872年)に開通した新橋〜横浜間は日本で最初に開通した鉄道です。初代横浜駅は現在の桜木町駅の場所にありました。ちなみに、新橋〜横浜間の開業する約半年前に品川〜横浜間で仮営業を行っていたそうです(品川駅は横浜駅と同様に日本で初の開業駅です)。関西側の東海道本線は明治7年に大阪〜神戸間が仮営業をした後、明治10年に京都〜神戸間で営業を開始しました。東海道本線(新橋〜神戸)の全線が開通を果たしたのは明治22年です。
東海道本線の廃線関連です。画像かリンクをクリックすると各ページへ移動します。二代目横浜駅の遺構が有名です。
神奈川〜程ヶ谷
東海道本旧線(神奈川〜程ヶ谷)です。初代横浜駅はスイッチバックだったので非常に不便でした。横浜駅を通らない平沼駅が開業しましたが、市電との接続が無く不便であったため、大正4年に二代目横浜駅が開業し高島町付近を通るルートになりました。その後、昭和3年に現在の横浜駅を通るルートとなり廃止されました。二代目横浜駅跡は見所です。
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用宗〜焼津
東海道本旧線(用宗〜焼津)です。明治22年に開業した区間であり、開通当時は石部トンネルと磯浜トンネルは単線でした。その後、明治44年に単線並列で複線化されました。そして、旧線改良工事により石部トンネルが完成し、昭和37年に現ルートに変更され廃止されました。海岸線に単線並列で残っている旧石部トンネルは非常に見応えがあります。
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足尾線
明治44年(1911年)に下新田信号所〜大間々町間(翌年の1912年12月に大間々に改称)が開通しました。大正2年(1913年)に国が借り入れを行い、足尾鉄道から足尾線に改称されます。そして大正3年(1914年)に足尾本山まで開通しました。その後、大正7年(1918年)に国有化され、国鉄足尾線となりました。
足尾線の廃線関連です。画像かリンクをクリックすると各ページへ移動します。足尾本山の駅跡は今でもしっかり残されています。
間藤〜足尾本山
足尾線(間藤〜足尾本山)です。足尾鉄道として明治44年に下新田信号所と大間々間が開通し、大正3年に足尾本山まで開通しました。大正7年に足尾線と名称を変え、銅の輸送だけでなく、桐生〜間藤での旅客輸送も行われていました。昭和48に閉山となると昭和62に貨物輸送も終了し、間藤〜足尾本山間の路線は休止となりました。足尾本山は現在でも有名です。
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