都営浅草線(旧馬込車両工場)廃線跡
開業当時(昭和35年)は、浅草線に車両基地が無く、京成線の向島駅跡を利用し検修場(跡地は現在の八広)を設けて、検車と工場業務を行っていました。その後昭和38年に車両収容不足の関係から、京成線内に発足された高砂検車区の一部(拡張予定の土地)を高砂検修場として一時的に借りるという形で検車業務を行いました。そして昭和43年(1969年)に馬込検車場が開設された事で高砂検修場は廃止、昭和44年(1969年)には馬込車両工場が開設され、向島検修場を廃止しました。
平成2年(1990年)になると、新たな馬込車両基地整備計画が決定されます。そんな中、2000年には馬込検車場と馬込車両工場とを統合し、馬込車両検修場を発足しました。
そして、平成16年(2004年)に馬込検車場内(現馬込車両検修場)に新車両工場が完成すると3月末で旧馬込車両工場の業務は終了。5月には新車両工場での業務を開始し、旧馬込車両工場までの路線は廃止となりました。
地下鉄線で踏切が存在した工場への線路
引込み線の廃線跡は西馬込駅西口を出て馬込方面へ進み、ローソンの手前の住宅地へ入っていく道に入るとすぐあります。道路から見下ろすと、坑口から出てきた廃線跡を見る事ができました。単線で出てきた廃線は三つの踏切を通り車両工場へと向かっていました。(ちょうど24時間パーキングがある手前が坑口跡がある位置です。現在では坑口跡に建物が建っており跡形もありません)
坑口跡の上から見た廃線と入り口が塞がれ、約半分ほど埋められて残る坑口跡。
地上に出た廃線跡は三つの踏切を通り車両工場へと進んでいました。現在では廃線跡は殆どが月極駐車場となっています。周りに建っている建物の何軒かが当時と同じものである事が、かつてここに線路があったのだということを物語っていました。
馬込第一踏切・第二踏切があった場所。一枚目が馬込第一踏切。二枚目が第二馬込踏切の跡です。
馬込第二踏切を通った廃線跡はすぐにまた馬込第三踏切を通り工場へと進んでいました。第二と第三踏切跡の間から坑口跡方面を見ると、右のスペースが坑口を出てきた線路があったスペースで、黄色枠の駐車スペースがある場所が引き上げ線の跡になります。この辺りは、開けているので、当時どのように線路があったのか知ることができる場所です。
馬込第三踏切と引き上げ線跡。一枚目が馬込第三踏切。二枚目が第引き上げ線跡の写真です。
馬込第三踏切を通った廃線跡は車両工場内へと入ってました。平成19年(2007年)に工場の建物等は完全に撤去され、平成25年(2013年)に立正大学付属立正中学・高等学校が工場跡地に移転し建っています。そのため当時の車両工場の面影は跡形も無くなっています。そして馬込第三踏切付近から坑口跡方面を見てみました。駐車場が続くように並んでいる様子から、ここにかつて工場への線路があったのだという事がわかります。
馬込車両工場跡と第三踏切から見た坑口跡方面の廃線跡
この廃線跡は距離はかなり短いです。訪問時は2015年頃で、踏切等は完全に撤去されているものの坑口跡が残さていたので、写真一枚目のように坑口の真上から駐車場へと変化をした廃線跡の様子を見る事ができました。現在では建物が建っているため、坑口からの単線区間が全く見ることが出来なくなってしまったのは残念なところではあります。話によると、地下鉄西馬込駅を出て車両検修場へと向かう地下トンネルには旧馬込車両工場へのトンネルが残されているそうです。ただし、本線から分岐する旧馬込車両工場への地下トンネル跡は、試乗会イベントなどでしか見ることは出来ません。
都営浅草線の旧馬込車両工場が廃止され、地下鉄で踏切があるのは銀座線の上野車庫にある踏切のみとなりました。今や駐車場や学校が建っている廃線跡に、かつて車両工場へ向かう都営浅草線の踏切があった事は時代とともに記憶から消えていく運命にあるのかも知れません。





















